コンクール直前インタビュー!(1)いきずり

せんがわ劇場

2016年07月09日 12:06

第7回せんがわ劇場演劇コンクール出場団体のみなさんにお聞きした、直前インタビュー!観劇の前後にぜひご覧ください!

Q:
「劇団の成り立ち」を教えてください。

木村:
学生時代に桜美林大学で「いきずり」の前身の団体「劇団はへっ」を立ち上げました。なかなかひどい名前ですよね。立ち上げたきっかけは、当時いた彼女にふられて、悔しくて見返したくて、そのいきおいのまま「劇団はへっ」を立ち上げました。当初は10人くらい劇団員がいたけど、旗揚げ終わってみんな辞めてしまって僕だけ「劇団はへっ」でした。そして、大学卒業後に「いきずりに」に改名。ふと気付いたんです。今後たとえ巷で話題になったとしても「劇団はへっ」という名前の団体、僕は観に行かないなって。なので「いきずり」に改名しました。

Q:
「いきずり」という団体名は?


木村:
「いきずり」ってことばは
すれ違うこと、通りかかること、かりそめ、通り過ぎるときに触れ合うこと
って意味を持っています。

すれ違うことから活動をはじめたいと思って名付けました。すれ違うということの側で、どうやって生きようか、そういったことを立ち止まって考えたり感じたりしたくて、いきずりと名付けました。




Q:
これまでの活動は?


木村:
年1回の本公演と、他の企画に呼んでもらって短編を上演したり、あとは、アウトリーチ活動。

和歌山県西牟婁郡上富田町の文化会館の自主事業公演委託という方で幼稚園保育園に行って「赤ずきんちゃん」という作品を上演しました。こどもたちと一緒にオオカミを倒しました。

あとは、桜美林大学の舞台芸術研究所の「合唱寸劇水戸黄門」という企画、作品の演出をやらせてもらっていたのが僕にとってかなり大きな経験です。

TVドラマの水戸黄門を題材にした、合唱あり、ダンスあり、殺陣あり、笑いありの作品を福祉施設で上演するんです。40カ所くらいは行きました。普段、そこで生活している人がいて、その場所で、生活している人とお祭りを一緒に立ち上げている感覚でした。そこで多くのおじいちゃんおばあちゃんと出会いました。この企画に関しては、院でも研究しようと思っているので、いくらでも話せます。ので、このくらいで、あの、ほんと素敵な企画で、上演中、出演者に話しかけてくれるんです。あ、やっぱり長くなるので、またどこかで(笑)

Q:
コンクール参加の動機


木村:
舞台芸術活動者の育成支援プログラムの出発点としてのコンクールでもあることは、申し込み書類を書いて心が折れそうなときの支えになってました(笑)
ファイナリストに通ったら公共劇場と組んで「合唱寸劇水戸黄門」のような企画だったり、地域の中での演劇の可能性を模索しながら具体的な行動に移していけるのではないかと、食いついてしまいました(笑)

あとは、審査員から講評がある。作品を観てもらって、公の場でことばにしてもらえる機会がある。これってものすごい素敵なことだと思う。観てもらって、ことばと出会って、そのことばに立ち会う人もいて、何かがはじまって循環していく。これはね、ちょっと興奮しますよね。ものすごくこわさもあるけれど。

Q:
どんな作品でしょうか?


木村:
「老いと踊るディスコをたちあげる」ことを出発点に作品作りをはじめました。
老いって、自分自身が老いていくのも、老いの側にいるのも、どちらも主観的な匂いみたいなものだと思っていて、必ずまとわりついてくるものだと思います。そして、その主観的に匂いみたいなものが、「げびた驢馬の」登場人物から嗅ぎとれる作品になっているのではないかと思います。においって人に精確に伝えるのは難しい。でも、だからと言ってその主観的な実感を切り離すことはせず、劇場で舞台上で、見えているものから、においを感じて、そのにおいのある一部の側面にでも惹きつけられるものを感じてもらえたら嬉しいです。全部じゃなくていい、ある側面、ある一部に惹きつけられて、でもある一部には目を背けたくて、それでいいなって思っています。

そのにおいに集まり、おどれる場所が、素敵なディスコなのかもしれないです。

Q:
今後の展望は?


木村:
「合唱寸劇水戸黄門」のような福祉施設を訪れて、そこで生活している人とお祭りを立ち上げられるような企画、演劇を作りたいです。

あ、あと最後に、いきずりが僕1人なので、これから増えていったらいいな(笑)
いきずりの出発点が、僕だけじゃなくなっていったらって思っています。


(インタビュー:次世代芸術家グループ企画運営部 柏木俊彦)


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